|
鏡の直径は12,55センチの四神四獣鏡で、半円方形の帯部をめぐる銘文は
『赤烏元年五月廿五丙午、造作明、百凍青銅、服者君候、宜子孫、寿満年』
(九州大学の岡崎敬教授の調査研究による)
とあり、昭和54年6月6日に国の重要文化財に指定され、現在は東京国立博物館にて保管されている。
なぜ中国三国時代(呉・蜀・魏)の呉の「赤烏元年鏡」が、この多くの山に囲まれた古代甲斐の国にもたらされたのか、いくつかの山梨の歴史・古代史の記述をみても一様に謎として今後の研究を望んでいる。 |
|
| 「赤烏元年鏡」は直接中国三国時代に渡来した |
| 「赤烏元年鏡」渡来に関しては二つの考え方がある。 |
| 一、赤烏元年の時代に渡来したのではなく、相当の年月が経過したのち、機内の大和朝廷から甲斐の豪族に下賜されたものである。 |
| 二、赤烏元年の時代に直接、古代甲斐の国にもたらされた。 |
以上、二つの考え方があり現在の主な見方は
一、の機内の大和朝廷から甲斐の豪族に下賜されたものであるということが無難な考え方として支持されている様であるが、本稿は二、の中国三国時代に渡来したとの観点から考察していきたい。 |